問題の選び方

最新のCellに以下のCommentary articleが掲載されている。

Problem choice and decision trees in science and engineering (Fischbach, 2024, Cell)

これはコンピューターサイエンスを除くSTEM分野の大学院生やポスドクに対して、どのようにプロジェクトの設定をするか、と指南する文章である。こういったものでは、過去に有名なものにAlon, 2009, Mol Cellがある。

まず彼が指摘するのは、大学院生やポスドクがプロジェクトを設定する際にかける時間とそれを実行するのにかかる時間のアンバランスである。通常数週間の思考でプロジェクトを設定し、それを完結させるには数ヶ月から数年単位の時間が必要となる。プロジェクトの設定の良し悪しが実行可能性や結果のインパクトにつながることを鑑みると、プロジェクト設定により長い時間をかけるように促している。最初のアイディアに飛びつくことは愚かであり、数々のアイデアを餌に向かってじりじりと進行するヒルの群れのようなものとして扱うよう書いてある。

生命科学のプロジェクトは次のように簡潔に考えることができるという。システムを擾乱する–>それを測定する–>そこから得られたデータを解析する。新しいアイデアはこのどれかに貢献するもので、ほとんどのケースでは技術の創出や新しい論理の創造を伴う。つまり、自分のアイデアがあった時に、それがどういったカテゴリーの中に含まれるのか考えてみることは有用であろう。

新しいアイデアを考える時に有用なのは、それを二つの軸から考えてみることである。一つはそれの実現可能性、もう一つは実現できたときのインパクトである。一つ目については、”assumption analysis”というタスクをやってみるように促している。それはプロジェクトの初めから終わりまで(つまり論文一本)を思考してみて、それが提示する結果を想像し、そのそれぞれに成功可能性とそれにかかると思われる時間を記入してみるのだ。詳細な例が論文に載っているので確認してみると面白い。例えばとあるポピュレーションの細胞を組織から分離してscRNA-seqのデータを得るのは、1-5の難易度(1が最低、5が最高)のなか難易度2で12ヶ月ほどが割り当てられている。一方、その後に新しい細胞種を見つけその特異的な遺伝子を破壊して生物学的に意味のあるフェノタイプを得るというのには難易度5で30ヶ月ほどが割り当てられている。これをやってみてプロジェクトがあまりにリスキーと感じる場合は、プロジェクトの扱い方を変更することも良い。例えば、「ある組織から新しい細胞種をscRNA-seqで発見して遺伝学的にバリデーションする」というのがあまりにリスキーならば、「ある組織にある細胞(既知のものでも良い)をscRNA-seqでより詳細に調べる」、というようなより包括的な設定にすることができる。またプロジェクトのリスクヘッジとしては、多種類のサンプルを並行して解析してみるなどが挙げられる。重要な点は、go/no-go(進むか降りるか)を決められるような実験をなるべく早く行うようにすることである。リスクのないプロジェクトはインパクトに欠ける傾向があるので、ここではリスクを見つめ、それをどう扱うかが議論される。

基礎科学のインパクトを考える上で、二つの基準を考えてみることが推奨される。一つは、そのプロジェクトの結果からどれだけ学べた(対象に対する理解が深まった)か、もう一つは、それがどれほど一般化できるか、である。このどちらかで高いスコアがでれば、そのプロジェクトは高いインパクトを持つと考えられる。

アイデアを考える上で、彼が推奨するのはパラメーターを一つだけ固定することである。彼が言うには、パラメータを複数固定してしまうミスが多い。例えば、ある代謝物をある細胞種を改変することで体内に供給する、という方法を考えるプロジェクトに関して言えば、ここでは二つのパラメータが固定されている。代謝物と細胞種である。それを一つにして、もう一つは自由に、可能な方法を試すのが良い。つまり代謝物を固定して、他の細胞種も試してみるなどである。どのパラメータを固定するかは興味やラボの強みによって考えてみると良い。何のパラメーターも固定していないプロジェクトでは自由度が高すぎるため、プロジェクトは進行しづらい。

一度プロジェクトが決まっても、数年間の単位で仕事をするとオリジナルなプラン通りにいくことはまずあり得ない。頻繁に、実験の実行とプランの評価を行ったり来たりする必要があり、もしも進めなくなってしまったらトラブルシュートだけに時間をかけるのではなく、ドラスティックな変化を入れることが必要かもしれないと言う。また実験の実行とプランの評価は同時進行することは不可能で、どちらにしても高いエネルギーを要するので、それぞれにまとまって集中した時間をとることとアドバイスがある。また、良い研究者は頻繁にこの二つを行き来するという。

どのプロジェクトも存続が危ぶまれたり劇的な変更は避けられない。そのような困難を想定し、そこから何かを学びとろうとする姿勢が不可欠である。特に次の二つが学べる。一つは、問題を解決することでプロジェクト全体が良くなること。もう一つは、追い詰められた状況から抜け出す道を探すという、素晴らしいトレーニングである。

問題を解決するためには二つの良い方法がある。一つ目は、固定したパラメーターを振り返ること。実験をするに従ってパラメーターを固定していかなければならない。しかし、トラブルシュートをする際は、固定しているパラメーターを書き出し、一回につき一つずつ、それらを動かす。時に最も効果的なのは、最も「神聖」だと考えていたパラメーターを浮遊させることだ。二つ目は、考え方を変えること。何か動かないときは、無理に動かそうとするのではなく、動かないことをそのまま評価してしまう、そんな変換が時に役に立つ。

と、ここまでがこのCommentaryの解説となる。参考になると思う。しかしこれはあくまでリソースが潤沢にあり、ある程度まっさらな状態からアイデアやプロジェクトをひねり出し実行できるという恵まれた環境でのことだろう。実際には、ボスの頭がある方法論やアイデアに固定されているとか、前任者のデータが再現できないとかラボ内政治で触れない実験があるとか、訳のわからないヒューマンプロブレムが介在してプロジェクトがどうしようもなくなることも多い。また、5-6年の長いスパンでプロジェクトをやろうと思うと、突然パンデミックがあったりなど研究以外の方向から全く予想外の問題が生じたりする。トレイニーの立場からは、そういった不測の事態にもめげず、柔軟に対応しつつできるだけのことをやろうという心構えを持つことが大事なのではと思う。そしてボスの立場からは、そのような、プロジェクトを危険に晒し、さらにトレイニーのやる気を挫くようなわけのわからないヒューマンプロブレムをなるべく減らし、トレイニーと二人三脚で上の記事のプロジェクトの発案と実践をなるべく純粋な形で行えるようにすることだと思う。


しかし、僕のポスドクプロジェクトはもうどん詰まりでどうしようかというような感じだ。上の記事に従えば、ドラスティックな変更が必要かもしれない。例えば、もうそれは諦めて、新しい関連プロジェクトに乗り換えるなど。困ったものだ。


昨年訪問したJ研究所での協同研究から生まれた小さなメソッドを論文にしようと準備している。といっても、これは本当に小さくニッチなものなので、今の予定は図が一枚の超ニッチ雑誌に送るというものだ。しかし、僕の所属するラボでは便利な方法だと思うし、僕自身は日常的にそれを使っているので、論文の形にしておけば他の論文で細かい説明を書く必要がなくなるだろう。あまりモチベーションも上がらないのだが、僕らの世界で生き残るならば何か仕事をしている証を世に出し続けなければならないというのもまた事実である。。。

ということで、ひっちゃかめっちゃかなプロジェクトをなんとかできないかと実験しつつ、論文を書きつつ、ラボのアニマルプロトコルの準備に協力するという、やることは山ほどある状態である。


妻がオーストラリア出張に行き、現地で日本語の古本を扱う本屋でまた何冊か仕入れてくれたので、それらを読んだ。

今回読んだのは、

『若きサムライのために』(三島由紀夫)

『大河の一滴』(五木寛之)

『一週間』(井上ひさし)

三冊目の『一週間』は第二次世界大戦終戦後にソ連で抑留された日本人による活劇。その日本人はひょんなことからレーニンの手紙を手に入れ、ソ連を相手に交渉を試みるというもので、全ての内容は一週間以内に起きるフィクション。しかしながら、壮大な物語の中に、僕の知らなかったソ連抑留や共産主義の話が多く、学びになる内容と劇としての面白さのバランスが良い。もちろん日本人を抑留し強制労働を科していたソ連を批判しているが、それよりも痛烈に批判しているのは当時の軍国主義的性格と日本軍トップのあまりの非常識さと無知である。僕たちはそこから何かしらの教訓を学ばなければならない。


僕が修士、博士と関わった研究分野はほんの一時流行があったものの、この数年で急激に廃れてしまったように思う。とにかくそれに関わる内容でトップジャーナルに論文が載らなくなった。僕が過去に著者として関わった論文の引用件数も、一時は結構伸びたものの、この一年ほどでずいぶん減ってしまった。生命科学分野の流行り廃りの早さは恐ろしいものがある。それをキャッチする嗅覚が大事なことも異論ないが、運の要素が大きいだろう。あとは、あまり流行り廃りによって評価に大きく影響されない領域を探してみるとか(そんなものがあればだが)。


趣味のプロジェクトはおよそ30%。亀の歩み。

プロトコールの準備(まずは振り返り)

これまでの二週間ほどは事務作業に忙殺されてしまい、ほとんど研究に集中することができなかった。それというもの、アニマルプロトコールの準備を任されてしまったからだ。英国では動物を使った研究をするためにはライセンス(プロトコール)が必要であり、その承認されたライセンスに基づく研究/実験以外はすることができない。これは法的な拘束力を持つ、いわゆるラボの憲法のようなものだ。ライセンスは5年が期限となり、更新することはできない。5年ごとに毎回新規申請となる。ライセンスの申請と承認は大学や研究所、国といくつもの機関を跨いだ大仕事で、そのため準備はおよそ一年前から始まる。そして僕の所属するラボでも、次のライセンス申請に向けてそれが始まったのだ。今のライセンスと次のライセンスを途切れなく繋ぐには、時間を気にしながら作業をする必要がある。ボスから信頼されていると捉えて良いのだろうが、ラボの秘書さんと僕にこの仕事が降ってきてしまった。

いきなり新規ライセンスを書き始めることはできない。まずは現在運用中のライセンスの詳細な振り返り書類と、新規ライセンスの申請を大学/研究所側と相談するための問診シートの二種類の書類を急いで作成する必要がある。前者は昨年の11月にボスのところへメールが来ていたのだが、いつものように彼女は気がつかず、このタイミングまで押してしまったのだ。11月から始められればもっとずっと時間的にゆとりがあったものの。。。ということで、ラボの8割ほどがイースター休暇で遊びに行ってしまったところ、秘書さんと僕はこの二週間ほどそれぞれの仕事の合間を縫って、この二種類の書類と格闘してきた。

二人ともこの五年の間にラボに入ったので、前回の経験もないし、必要なデータをどうやって取り寄せて良いのかわからない状態から始まったので、もう大変である。巨大なエクセルシートを入手することはできたものの、今度はそれと格闘して必要な数を抽出仕分けする作業が膨大で、毎日数時間ずつ二人で作業しても二週間で終わらない。一体僕らは何をしているのだろうか、とぼやきながらの作業である。しかし、秘書さんが信頼できる人で、そのライセンスを使った実験を彼女がするわけではないにもかかわらず一所懸命に対処しようとしてくれているので、僕もなんとか腐らず踏みとどまっている。しかし、こういった事務作業を経験すればするほど、イギリスに渡ってきたことを後悔し、自分の将来への不安が募る。


また週末少しずつ走るようになった。イギリスもようやく春である。


趣味のプロジェクトは現在24%。もう少しで1/4に到達する。

書き物

ブログの更新が滞っている。それはこの間あまり何かブログに書き残しておきたいと思うことが見つからなかったからだ。しかし、日常的に書き物はしていたので、それで自分の中でバランスが取れていたのかもしれない。書くことは好きなので、仕事でそれが減ってくる時期にはブログやその他の媒体でのアウトプットが増えるのかもしれない。世間ではあまりそういった印象はないかもしれないが、研究職はとにかく物書きの仕事なのだ。

僕は最近、他の人の論文の編集や動物を使う実験のプロトコルの準備を手伝ったり、自分で非常に小さなメソッドの論文の準備を始めたりしていた。実験で机を外している時以外は基本何か文章を開いているという感じだろうか。ラボ主催者のような独立研究者は一つのプロジェクトを書き物で始めて書き物で終える。まずは資金を得るために、グラントやフェローシップに応募するために書類を作る。そして最後は論文という形で成果をまとめる。この最初と最後のアウトプットは熟練が要求されるとても難しいプロセスで、特に英語が第一言語ではない研究者にとって頭の痛い問題である。英語が第一言語の研究者の中にもはっきりと上手な人と下手な人がいる。論文を読んでみるとよくわかる。ある程度個人の才能が問われるのではないかと思われるが、基本的には論理的説得力を求めれば根幹の部分は外れない。おそらく上手な人の側である程度の時間修行のような形でプロセスを見て、たくさん直してもらいながら一緒に物書きをし、まずは可能な限りその方法論をコピーするのが手っ取り早いのではないかと思う。そのためにも博士課程とポスドクでラボを移動するのが重要だろう。二人の異なるボスがどのようにこの二つの大きな書き物を処理しているのか学び、良いところを混ぜ合わせるようにしたい。博士課程の頃のボスは、僕がポスドク先を選ぶ際に、論文書きが上手なボスの所へ行けとアドバイスをくれた。実際、博士課程のラボとポスドクのラボではこれらの書き物に関してそれぞれのボスの個性があって、興味深い。今のボスは書き物に関して超がつく一流なので、今のうちに学べるだけ学んでおきたい。研究職を続けなくとも財産になる能力である。しかし、他の能力と同様、これをボスから学ぶためにはある程度の苦痛というか苦行が求められる。それは積極的にボスと一緒に書き物をする機会を見つけ、自分の書いたものに批判を受けるということで、それはなかなか厳しいことだ。


研究はこの一月ほどほぼ停滞している。なかなかブレークスルーが出てこない。先日ブレークスルーかと思ったものも幻想を見ていたのではないかというようなデータが出てしまい、数ヶ月前の状態に戻ってしまったかのようだ。その場合も、一つ選択肢を消せたと前向きに考えたい。。。


今年取り組んでいる趣味のプロジェクトは現在20%。

友人の論文から

博士課程のクラスメイトの論文が掲載された。BioRxivに投稿した時点で多くのニュースサイトなどにも取り上げられ非常に話題になったし、昨年末には受理されたことを本人から聞いていたので驚くことはなかった。リバイスに長い時間がかかっていたので、彼のためにも本当に良かったと思う。

クラスメイトとは仲が良かったので、彼がアイデアを見つけた直後からその話を聞いていた。当初から信じられないほど素晴らしいアイデアで、実際にあれよという間に次々と前進し、側からみると真っ直ぐに大発見したというような感じだ。彼は大学院の期間中、その前にも全く異なるテーマのプロジェクトで面白い発見を発表していた。そのままポスドクをスキップしてPIになってしまった。

彼は生命現象を考える上で、目の付け所が素晴らしく良い。大胆かつ面白く、現代のテクノロジーを使えば納得できる程度に証明可能な仮説を立てることにかけて天才的だ。彼や彼のようなクラスメイトからは多くの刺激を受け、いろいろな面白いサイエンスを教えてもらってきた。彼ら彼女らに囲まれながら博士課程を過ごせたことは僕の大きな財産だと思う。

しかしこういった才能豊かで秀でた能力を持つ人たちの中に混じっていると、打ちのめされるような思いになることも多い。他人と比較しないように心がけているものの、この業界にいる限りそれはとても難しいことであるし、ある程度の健全な野心というものも必要なようだ。

先日、自分が研究者に向いているかどうか確認する質問というような項目を読んでしまって、そのような疑問を持った時点で向いていないと書かれていた。つまりその基準から言えば僕は向いていないということで、そうかもしれない。しかし、それは暴論というか成功した(まずここで言う成功を定義する必要がある)者による非常に偏ったものの見方なのではないかとも思う。百人の研究者がいれば、百通りの個性と、百通りの科学と社会との関わり方があるのではないか。フラストレーションは自分の欲求が叶わないことに起因するわけで、ストア派の教えは自分のコントロールできないものを欲求するな、というものである。

とにかく様々な外的な要因で断ち切られるまでは、好きならば真面目に続けること、というのが最重要なのではないかと考えている。言い方を変えればレジリエンスが大事だろう。生命科学も一つのプロジェクトに5-7年ほどかかる。それだけの時間の中では本当にいろいろなことが起こりうる。研究だけでも、機材が壊れたり、実験動物に何か不測の事態が生じたり、鍵となるラボメンバーが突如ラボを去ったり、嫌なやつが同僚になったりする。個人の生活でも、家族に変化があったり、ビザや給料の問題が生じたり、感染症の蔓延で社会が一時的に大混乱したりする。いろいろな条件が奇跡的にカチッとはまると物事がうまくいくかもしれない。しかし、そうではないからといって、否定的な気持ちになるのはつまらないし損である。腐らず前向きな気持ちで続けてみよう、自分が関わっているものを最大限楽しもう、という姿勢を維持する努力と意志が重要なのではないかと思う。

今週は友人の論文(おめでとう!)から自分自身をも振り返る時間の多い一週間だった。


LMBの研究者が学生にアドバイスを与える形で二本の論文を書いている。素晴らしい内容なので、博士課程の学生に限らずお勧めしたい。自分も反省することの多い内容だった。

Things you should learn in graduate school (Hegde, 2024, Trends Cell Bio.)

https://www.cell.com/trends/cell-biology/abstract/S0962-8924(24)00026-6

How to enjoy and thrive in graduate school (Hegde, 2024, Trends Cell Bio.)

https://www.cell.com/trends/cell-biology/abstract/S0962-8924(24)00027-8

特に二本目はどうやって実験を組んで解釈するのか、そしてそれを上達するのか、ということに関して彼の具体的なアドバイスがあって勉強になる。超一流の現役研究者がその思考法や方法論を明かすこういった形の文章はあまり見つからないので、とても興味深く読んだ。


趣味のプロジェクトの進捗は14.7%。

引越し完了

今週は引越し準備と実際の引越しでとてもバタバタした一週間だった。僕らは共働きなので、二人とも仕事から帰ってきてから荷造りし、実際の引越し作業は土曜日という感じで、なんとか今日無事に全部運ぶことができてほっとしている。明日最後にもう一度前の部屋に戻ってざっと掃除をして全行程完了というところだろう。この街での引越しも3回目だったので、これでとりあえず終わりにして落ち着きたい。

前の家よりもずっと明るく清潔な感じのする部屋に移ってきた。前回の部屋は寝室が薄いピンクのカーペットで、そこに昔からの居住者の髪の毛が大量に埋め込まれていたり、寝室が北向きで日が射さず、カビだらけで冬は寒かったり、シャワーはお湯がでないことがあったりと、いろいろと問題の多い部屋だった。今回のところは妻がワークフロムホームできるだけの明るいスペースも確保することができた。

ラボまでは自転車で15分ほど。便利な場所だ。家のすぐ近くから自転車道がラボの近くまで走っていて安全で便利なのだが、現在7週間の工事で通行止めである。説明は受けたがどうして必要なのかもなぜそれほど長く交通規制するのかもさっぱりわからなかった。現在自転車通勤には、交通量が多く路肩がガタガタな道路を走らなければならず、怖いと感じることが多い。このあたりに住んでいる住民は皆困っている。


数週間前に面白いことを見つけたと思っていたのだが、再現性のチェックをしたところフェノタイプが消えてしまった。これには眠れないほど心の底から落胆したのだが、まだ完全にダメだと決まったわけではないので、これから数週間かけて再度の確認実験をすることになるだろう。ボスからも諦めるなというお達しがでている。生命科学は本当に微妙なところで結果が大きく変わってしまうことがある。本当に難しい。僕らはたった一つの実験結果で人生が左右されかねない職業に就いている。


10月頃から海外大学院プログラムへの受験をお手伝いしていた学生が無事にひとつアクセプトを得たという報告を受けた。彼の中でも志望順位の高い場所だったようで、本当によかった。お疲れ様でした。振り返ってみれば、大学院プログラムに合格するというのは研究生活のスタートラインに立てるというくらいの意味しかないことがわかる。しかし、日本から海外の一流プログラムを受験しそれに合格するというのはとても大変なことなので、大きな達成だと思うし大いに自信にしてこれからを頑張ってもらえたらと思う。

これもまたXPLANEという団体の大学院受験支援のサービスでメンターとして受験のお手伝いをした活動で、僕はこれまで三年連続学生一人ずつを手伝っている。


趣味のプロジェクトは12.7%。今週は引っ越しで大忙しで、先週から0.1%しか進まず。細く続けていけたらと思う。

グループミーティング

今週は数ヶ月ぶりにグループミーティングで発表した。しかし、このラボでグループミーティングの発表をするのは楽しくないイベントだ。博士課程のラボではグループミーティングで発表するのが楽しみですらあった。スライドに自由にアイデアを詰め込んで、議論も楽しむことができていた。しかし、現在の所属ではグループミーティングが重苦しく、皆非常に緊張した面持ちで、話す内容もスライドに入れる内容も厳選して、とにかく間違わないようにしようという空気を感じる。発表中も、楽しみながらいろいろアイデアを出すというよりは、他のメンバーからの批判に対して防御するというような傾向が強い。現在のラボはトップジャーナルを目指すような環境なので、厳しさは止むを得ないのかもしれないが、僕は遊びの部分がある程度確保できないと息苦しく感じる。どんな環境でも自分を見失わないようにすることの難しさを実感する。


中古で購入した家具が新しい部屋に配送されてきた。何もなかった部屋に物が入り、ぐっと生活感がでた。受け取りの際に業者の人を手伝って一緒に家具の運搬をした。その際に、業者から、「日本人か?」と聞かれたので、「そうだ、なんで?」と聞いたところ、「勤勉だね。手伝ってなんてくれない顧客ばかりなのに。」と感謝された。

海外で生活するようになって、日本人の評価が概ね良いことに助けられている。アジア人として欧米に暮らすことは簡単ではないし不快なことにも良く出会うが、それでも日本人だからとよくしてもらうことも多い。特に、タクシーに乗ったときなどに顕著だ。これは、僕らの先人が海外に出て、一所懸命働きながらそれでも他者に親切にしてきた賜物だと思う。海外に出た日本人が作ってきてくれた勤勉で丁寧で親切だという日本人の評価は、後続の日本人海外移住者を確実に助けていると思う。仕事でも日常生活でも、その評価を裏切らないようにしたい思う。


趣味のプロジェクトは現在12%。一週間で3%ずつ進むのがようやくという感じ。

引越し準備

引越し準備が忙しくなってきた。昨日新しいアパートの鍵をもらいに行ってきた。平日の昼間に妻も僕も自分たち自身でパスポートを持って不動産屋のオフィスに行かなければいけないというルールで、二人とも仕方なく仕事を休むことにした。せっかく休んだので、その足で家具を見に行くことに。現在のアパートは家具付きだったのだが、次のところは家具付きが見つけられず自分たちで一式の家具を揃えなければならない。

家具はBritish Heart Associationがドネーションされたものを中心に扱っている中古家具屋へ。ベッド、マットレス(これは新品)、ベッド横の小さい棚x2、ソファ、ダイニングテーブルに椅子x2を購入して450ポンド程度、ドライバーを二人つけてくれて運んできてくれるという。ポスドク生活は過渡期で、同じところにずっと滞在できるわけではないので、中古で十分だ。その点、妻とも意見が合致して楽だった。二人とも平日はほとんど動けないので、数十分のうちに中心的な家具を揃えられて安堵した。

現在のところが今月末まで契約があるので、実際の引越しは数週間後。早くこの大仕事を終えて、また落ち着いた環境が欲しい。しかし、新しいアパートは今のところに比べてかなりQOLが上がりそうなので、それは楽しみである。


今週は突然予期せぬ形で面白いデータがでた。まだ再現性を確認していないのでなんとも言えないのが現状だが、データの質から考えると大丈夫なのではないかと期待が持てる。しかし、不思議なものだ。メインで試していた本筋の仮説を検証するデータがいまいちだった同じ日に、とりあえず見てみるかみたいな形でやってみた実験で、あれ!?というようなデータがでるのだ。これは一年前くらいに、まあ準備しておいてみるか、みたいな形で、畑の隅に撒いておいた種のような実験だったので、余計に驚いた。しかしこれが本当なら、僕のプロジェクトは思わぬ方向に進んでいくことになる。自分が予期していなかった生物学の方向へ進む可能性があって、ワクワクする。こういう瞬間があるからなかなか研究をやめられない。と書いたものの、僕の携わる研究のシステムから考えて、これがもし本当だとしても全体像が浮かび上がってくるまでにはこれから数年単位の時間がかかるだろう。


趣味のプロジェクトの進捗は9.5%。もう少しで1割。

日向にとどまる

今週、ラボのテクニシャンが一人、博士課程に進学するためにラボを去った。彼とはJ研究所でも数週間一緒に働いて仲良くなったので、少し寂しく思う。ただ彼の希望する進路が叶った形だったので、とても良かった!

ラボの中では、彼は同僚のシニアのポスドクの下で働いてることが多かった。去り際、彼がそのポスドクに対して、何か最後のアドバイスはあるか、と尋ねた。そのシニアのポスドクは、「Work hard, but do not burnout; enjoy grad school」とアドバイスしていた。同意する。働くことなしで実験生命科学分野で成功することは不可能に近い。しかし、物事を楽しめなくなるまで燃え尽きてしまうとそもそもの目的を見失ってしまう。

僕が彼やこれから博士課程に進学する学生にアドバイスを送るとしたら何が良いか数日考えていた。もちろん沢山細々アドバイスできることはあると思う。戦略的な部分で、こうしたらいいよ、というようなものもある。しかし、気持ちの部分でアドバイスすることがあるとすれば、「物事の良い側面を見つめること。”日向にとどまる”こと。」というのが思い浮かんだ。

一つには、下のLouis Armstrongの生涯に関する記事を読んだことがある。(When You’re Smiling: Louis Armstrong’s Sunny Side of the Street (Meares, 26Jan2024, Vanity Fair))

https://www.vanityfair.com/hollywood/louis-armstrong-memoir?utm_source=pocket-newtab-en-gb

Louis Armstrongの”On the Sunny Side of the Street”はNHKの連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」で中心的な意味を持った曲だった。僕はアメリカ大学院が終わり、イギリスポスドクを始めるまでの一月日本に帰国していて、最初の1/3安子さんがヒロインの部分だけを見た。

大学院に入ってラボで働きはじめると、もしくはアカデミアのキャリアにいると(いやおそらくいかなるキャリアを選択しようと)、うまくいかないことに沢山出会う。何かや誰かを嫌ったり、貶めたり、攻撃したくなるような時が必ずある。ラボがあまり上手に機能していなかったり管理されていないと、ラボのメンバーの何割かは既に情熱も失い、ネガティブな空気感を作り出す存在になっている可能性もある。その中で、なるべく物事の良い側面を見るようにして、情熱を失わないようにすること。周囲の人に対して親切にできる余裕を失わないこと。君を下げようとする力に抗い、高潔に振舞うこと。そういうことをひとまとめにして、Armstrongから拝借した「日向にとどまること、その努力をすること」と表現したい。

そして、それはやはり能動的な働きかけが必要なことだとも思う。辻邦生は人間のドラマを魂が上昇する方向へ上がろうとする力と、それを下げようとするネガティブな力のせめぎ合いだと書いていた。魂が上昇する方向へ向かおうとするには、つまり重力に抗おうとするならば、そこにはそれだけのエネルギーが必要になるだろう。下がっていくほうが簡単なはずだ。大学院の間に、自分の中にそのエネルギーの在り処や作り方を探ってみるというのはどうだろうか。僕の場合は、なるべく規則正しい生活を続けること、読書をすること、(最近疎かになってしまっているけれど)運動をすること、という書き出してみれば巷でよく言われていることばかりの方法が役に立つことを経験的に知った。

日向にとどまることは本当に難しいが、お互い頑張っていこう!


現在趣味のプロジェクトの進行率は6.2%。ここまで三週間試してみて、週2~3%ほど進行することがわかった。趣味なので、焦らず行きましょう。


研究プロジェクトの方は、2024年に入ってから少しずつでも前進している実感がある。悪くない感覚なので、これをキープしたい。

MTAは結べず

先週のブログに書いていたアメリカNIHとのMTA契約は結局頓挫してしまった。大学側は遅いなりにも対応してくれて、いざサインを書いたらそれでオーケーというところまで来て、NIH側のルールが2024年頭から変更になり、アメリカ国外の研究者に対してサンプルの提供を取りやめたとのこと。交渉してみたのだが効果はなく、この数週間の努力とこれで研究が進むかもしれないという期待が水の泡になってしまった。落胆している。

仕方がないので、遺伝学を駆使する方向性に急いで切り替えたのだが、同じことを検証しようとしても薬剤なら数日で結果がでることも遺伝学を使うと半年以上かかってしまう。


こちらの大学で卒業研究を面倒見た学生が今回のサイクルで米国の大学院にアプリケーションを書いていたのだが、無事に希望するプログラムから合格が出たとの連絡をくれた。アプリケーションの手伝いもしていたので、安堵すると共に嬉しく思った。研究者にもいろいろなタイプがいると思うが、僕は積極的に学生などの初期キャリアのトレーニーと関わるスタイルの方が僕自身の職業満足度が上がることは明らかだ。

現在、学部を出たてでラボに入ったテクニシャンのトレーニングに関わっているのだが、実際自分の仕事の中にそういった時間がある方が自分の精神を健全に保てるのではないかと思う。相手の研究トレーニングに貢献しているようで、実は僕の方が助けられていて、彼ら彼女らこそが僕をアカデミアに繋ぎとめていてくれてるのではないかというような気持ちがある。

僕は成功者だけが楽しめるような研究環境で仕事をしたいとも思わないし、そういった環境に適応できる人間ではないということを、既にこのポスドクの二年間で理解した。僕は将来(もしくは現在のポスドク期間でも)競争的な環境で生き残ることは難しいのではないかと、そんな気がしている。しかし、僕の貢献できることもあるのではないだろうかと、なんとかそういうものを探したいと思う。僕はベンチに立ってプレーヤーとして研究に参加することは楽しいと思うけれど、エリートサイエンスの世界には性格的にあまり向いていないのではないかと、最近ますますそういった気持ちを強くしている。


趣味のプロジェクトは先週から少し進んで、現在の達成度は4.2%。

あっという間に1月も半ば

タイトルの通り、あっという間に1月も半ばを過ぎてしまった。年末にしっかり気分転換できたせいか、今月はここまで力を入れて働いてもまだへばってこない。上々の滑り出しだ。

躊躇して先延ばしにしていた実験を同僚に助けてもらいながら行ったところ、思いの外簡単でかつ良いデータが取れた。それがプロジェクトの行き先を示唆し、その方向に向けていくつか準備を始めた。ストーリーが立ち上がってくる予兆を感じる。良い傾向だ。僕がポスドクになる際に思い描いていた僕の好きな研究の方向性とは大きく異なってしまったが、仕方がない。データが示してくれる道を頼りに前進するしかない。ボスはこの方向性が気に入っていそうなので、尚更である。やはり誰かの下で働いていては、自分のやりたいことを押し通すことは難しい。独立してから改めて検討したいと思うアイデアがいくつかある。


アメリカNIHから研究材料を送ってもらおうと簡単なMTAを結ぼうとしているのだが、こちらの大学側の対応が遅過ぎて既に二週間が経過してしまった。内容的にはなんら難しくも特殊なこともないMTAのはずなのだが、なかなか前に進まず気持ちが焦る。何かにつけ大学を通すと物事に急激なブレーキがかかる。僕はこの大学の運営をあまり信頼できない。


『Empire of Pain』(Patrick Radden Keefe著)を読んでいる。これはOxycontinという薬を販売するこことでOpioidクライシスを引き起こしたSackler一族の物語である。この本を読んでいると、Sackler一族とPardue Pharmaの上役たちのモラルを欠いたあまりの強欲にめまいがしてくる。人を騙し、消費者の健康を著しく害しながら、金と権力を得ることに突っ走るホワイトカラー犯罪の話で、このような人々に金と権力が集中する社会の仕組みに失望を感じる。


研究とは無関係の趣味の領域で一つのプロジェクトを始めた。途中で挫折する可能性が大きいので、しばらくは何をしているのか明かさないことにしよう。現在の達成率は1.8%。