帰省の戦利品

今日はクリスマスだというのに、僕がセットしておいたゼブラフィッシュは一ペアも卵を産んでくれなかった。少しはプレゼントをはずんでくれてもいいのにと思ったが、彼/彼女らも今日くらいは休みたいのだろうか。

今月上旬に日本に帰省した際に、以下の本を購入して持って帰ってきた。

『Image Jではじめる生物画像解析(三浦耕太/塚田祐基 著、秀潤社)』

サンプルのマクロなども自分で再現しながらポツポツ勉強している。Image Jに特化した良い英語の教科書は無いような印象なので、このようなものが一冊あると助かる。

 

 

話は大きく逸れるが、トランプ大統領がエルサレムを首都と認定し、領事館を移すことを決めたということから、国連決議までのニュースをトラックしていた。印象としては、アメリカはなんと軽率で、傲慢な態度なのだろうかと驚いてしまった。トランプ大統領のバックには裕福なユダヤ教徒が多いのだろうから、彼らにアピールするためにも、選挙公約を強引に進めたのだろう。しかし、当然ながらイスラム国家から大反対が起きている。僕は、アメリカがテロなどの標的となる可能性も増すのではないかと危惧している。安全保障的にも正しい決断だったのだろうか。

まずは国連安保理でこの強行を阻止しようと決議案が出されたが、アメリカが拒否権を行使した。自分の国に対する決議案に対して、自国が拒否権を行使できる時点で国連安保理など機能していないようなものだと思う。次に国連総会の緊急会合で決議案が提出され、賛成多数で採択された。今回、少し驚いたというか、嬉しく思ったのは、日本が賛成に回ったことだ。アメリカが右と言えば右となると危惧していたこともあり、良くて棄権だろうと思っていたが、世界中の意見に歩調を合わせたのだろう。そしてアメリカは孤立してしまったわけだが、アメリカの支援を受ける賛成国に対して、支援を打ち切ると警告を出している。ヘイリー米国連大使の、このページにあるツイッターの文章などがひどい。

http://www.bbc.com/japanese/42435863

 

そして、また別の話題として、ジェンキンスさんが亡くなったというニュースを見た。なんという不思議な運命に生まれた人なのだろうかと、ジェンキンスさんの足跡を見て考えた。彼の人生は、事実は小説よりも奇なり、である。

 

 

 

小さな勉強会を始めた

アメリカはホリデーシーズンですね。研究所は金曜日からすっかりガラガラで、ラボにも人がいません。年始まではこんな感じで、実験機材は使い放題です。

僕は、特別用事がない限りホリデーは取りません。郷に入っては郷に従えといい、アメリカにいるのだから日本的な働き方はするな、と言われそうですし、実際ラボの同僚に、お前の働き方を正当化するなと訴えられたことがありますが、知ったことじゃありません。月曜には必ず週末はどうだった?という挨拶があり、ホリデーが終わると、ホリデーはどうだった?とかいう挨拶がありますが、結構鬱陶しいですね。そもそも好きでやっていることですし、目の前にラボがあって、特別用事がないのに研究しないというのは、ムズムズします。今は孤独な大学院生なので、できるときに仕事を進めましょう。といっても、発注は止まっちゃうし、色々不便で、できることは限られてしまうのですが。おまけにラボに人がいないので、このホリデーシーズンに2回も魚の餌やり当番が割り振られています。

それはさておき、クラスメイトと勉強会を始めました。月一で、一時間から二時間程度、自分の研究の進捗を話してディスカッションします。メンバーは仲の良い四人だけでクローズし、内容は外部に漏らさない約束です。一回につき一人がプレゼンします。つまり四ヶ月に一回自分の番が回ってきます。メンバーは四人とも全然違う分野をやっているので、話を聞いていてとても勉強になります。一年生のころから、何かあると飲みに行っていたメンバーなので、結構きついことをお互いに言い合ってもギリギリ喧嘩になりません。一回目は12/22金曜の夜七時からだったのですが、すっからかんの研究所内で、ビールを飲みながら楽しくディスカッションできました。みんな孤独な大学院生です。でもサイエンスが好きで、成功したいと思っています。

 

ミスが見つかる

今日はがっかりすることがあった。

自分がCRISPRで作って、すでに他の変異体とかけあわせたり、他のtransgenicとかけあわせたりしていた変異体が、どうやらnullではなくhypomorphなのではないかとの疑いを持つようになった。そう考えれば、今までわずかにおかしいと思っていた観察結果が綺麗に説明できる。

このミスは僕が生命現象についてもっと深い洞察をもっていれば避けられたものだと思う。恐らく、導入した変異より下流の遺伝子領域で新しい開始コドンが使われているのではないかと思われる。導入した変異が本来の開始コドンの近傍であり、その直ぐ後ろにin frameのATGがあることから、恐らくその致死性の変異をスキップし、ほぼ完全なタンパク質を作っていると思われる。弱いながらフェノタイプは見られるため、hypomorphであることは間違いないが、恐らくスキップして作られた少量のタンパク質がワークしているのだろう。どうしてgRNAを設計する段階で気がつかなかったのか。悔やまれる。そして、zebrafishではワークする抗体が極端に少ないことも、このようなチェックを難しくしている。

今日から急いで新しい魚をスクリーニングすることになった。早い段階で思いついて良かったが、また変異体の取り直しだ。僕のプロジェクトでは避けては通れない変異体なので、切り捨てるわけにはいかない。Zebrafishの3ヶ月の世代時間が効いてきて、これで卒業は一年延びたように思われる。もう卒業なんて夢のまた夢というような気がする。

踏み潰すまで

昨日クラスメイトとランチに行って、主に研究の進捗状況などを交換し合った。僕らは今や3年生であり、入学してから早くも2年半が過ぎて、正式にラボに配属されてからは1年半が経過した。Genetic modelを使っていない友人二人はとても順調そうで、そろそろ1本目の論文をまとめ始められそうだと聞いて、驚いた。僕のメインストーリーはまだ全く形が見えてこないというのに。。。仕方ないね。

この1年半はほとんどゼブラフィッシュのmutantやtransgenicを作ることであっという間に過ぎてしまった。そして、未だに作り続けている。ここ最近、幾つか似たような遺伝子を潰すことで、もしかしたらフェノタイプが出るかもしれない、ということがわかった。これらも、自分でmutantを一から作って掛け合わせているのだ。しかし、やはり綺麗に調べるためには、なるべく潰せるだけ潰してみたいと思っている。そこから、僕のデータ取りが始まるのではないか。気が遠くなりそうだが、この方法が良いと僕の学生/研究者としての良心が言っている。

幸い僕の生活費はPIがサポートしてくれているので、向こう数年は食いっぱぐれる心配はない。しっかり腰を落ち着けて、自分のプロジェクトと向き合えるのはいいことで、ここまで時間をかけて仕事ができるのも大学院生の時期が最後かもしれない。そう思うと、PIと二人三脚で、なるべく彼から多くのものを盗み、大いに成長しなければならないと思う。仕事が良い結果としてまとまればそれに越したことはないが、正直に研究してそれでもダメなら仕方のないことだ。全員がCNSに論文をパブリッシュできるわけでもなし、そもそも僕の分野で論文がそれらの雑誌に掲載されるのなんて本当に稀なのだ。「私の個人主義」で漱石が説いたように、とにかく踏み潰すまで進んでみて、後悔だけは無いようにプロジェクトを進めてみたい。僕のPIが指導する研究の方向性は、研究者の倫理観としてはとても優れていて正直だと思う。尊敬している。成功したいと強く思うけれども、彼から学ぶ姿勢というのはそれよりも大事であるべきだと思っている。

大学院生の増税は免れそう

先日のポストで、アメリカの大学院生の税金が高額になる恐れがあると説明したが、どうやらこの部分は新しい税制においても現在の制度が守られそうだ。以下にその内容を伝えるWashington postの記事へのリンクを貼り付けておく。

https://www.washingtonpost.com/news/wonk/wp/2017/12/14/final-tax-plan-expected-to-keep-medical-deduction-and-grad-student-waiver-a-relief-to-millions/?utm_term=.8485dba25abb

しかし、今回のことを通して色々考えさせられた。僕の所属する大学院も一致団結してこのプロポーザルに大反対していて、連日のようにこの問題に対するメールが回ってきていた。例えば、このサイトに署名して反対運動を起こそう、というようなものが教員から共有されたり、学会が起こしている反対運動の広告が教員から共有されたりした。

僕自身も、FASEBのサイトを通じて、自分の近隣の上院議員に僕の実名入りの抗議文章を送った。それに対しては、上院議員からちゃんと返事をもらった。

昨年の選挙戦の時もそうであったが、アメリカでは教員といえども必要であれば自分の政治的立場を明確にして、戦う。自分たちが良いと思っているものを守るために、自分たちの権利を行使し、自らの代表に自分たちの声を届けるように努力する。僕は少し感化されて、微力ながら今回は主張させてもらった。今回のことは直接僕自身の生活にも関係する内容であったし、この制度を維持することがアメリカのためであるとも思っているからである。

しかし、自分は市民権を持っていないので、あまり守られた立場とは言えない。また、選挙権も持っていないので、自分たちが積極的に政治に参加しているとは思えない。このあたりで、少し二の足を踏むし、強くは主張できないだろうと思っている。

昨日は、研究所のホリデーパーティーがあり、例年通り所長がスピーチした。昨年に引き続き、「政治的にも色々なことがあるが、研究を頑張っていこう」というような内容だった。僕は、自分がトレーニングを受けているこのコミュニティが好きだし、とても感謝している。そして、このようなトレーニングの機会を与えてくれているアメリカにも感謝している。色々思うところもあるが、この点に関しては入学直後から一貫している。そして、アメリカには是非ともこの制度を維持してもらい、次世代を担う研究者を育成し続けてもらいたい。それは世界に貢献していると言えるのではないか。

久しぶりの日本、そして漱石

しばらく更新が途絶えてしまったのは、二週間ほどバケーションをとって日本に帰省していたからでした。僕の大学院プログラムでは年間平日で15日ほど休みを取ることが認められています。これは会社員では有給のようなものですね。僕のPIも、このポリシーの範囲内ならばあまり煩いことを言わず、気前よく休ませてくれます(ただし、グラントや論文のシーズンを除いて)。今年の夏は長い休みを取らなかったので、冬にまとめて長く日本に帰らせてもらいました。この中途半端なタイミングで休みを取ったのは、飛行機のチケットが安いことと、アメリカ人はホリデーに長く休みを取ることが多く、その間にラボを空にしない目的でした。僕のカレンダーには既に、12/24と12/30にゼブラフィッシュの餌やり当番が埋まっています。

二週間ほどあると、しっかり日本に帰ってきたという気がしました。アメリカに生活し始めて三年目、既にアメリカの方に生活の拠点が移っているので、最初に成田に降り立った際は浦島太郎のような心持ちでしたが、しばらくしてやっぱり日本はいいなと再確認しました。親も息子の長めの帰省を喜んでくれましたし、会いたいと思っていた人にも随分会うことができ、近況を知ることができました。東京の都心は人が多く、僕がアメリカで住んでいる都市と機能的にはあまり大きくかわりがありません。しかし、日本では滅多に危ないことにも遭わないことがわかっているので、気の張り方が違います。また、今回は多くの時間を、公園を歩いたり神社や寺院を回ることに使うことができ、都心を離れて湖や山や海を見ることができました。日本の土地の美しさを再確認し、しっかりリラックスすることができました。

日本は僕の故郷ですが、卒業後に日本に帰ってくるかはわからない、という気持ちはずっと持ち続けています。それは、帰省を楽しんでいても変わりません。これはとても難しい問題で、もっと先に進んでみなければわかりません。アカデミアのキャリアを考えるならば、日本の国土も好きで、教育活動で貢献するならば日本で、という気持ちはずっと持っています。しかしながら、アメリカの研究活動の良さは素晴らしく、また、今のところ日本のアカデミアに対してあまり良い印象を持っていないということもあります。しかし、このような考えは時間が経つにつれて変化していくと思いますし、もろもろのタイミングや人生のステージを鑑みて相談していきたいと思っています。

帰省中に夏目漱石の『漱石人生論集(講談社学術文庫)』を買って読んでいました。そして、夏目漱石の偉さに感服しました。著作は何冊か読んだことがありましたが、彼の生きることと仕事への姿勢やそれに伴う苦悩などは、これらの講演やエッセイ、書簡にダイレクトに反映されていると思います。読んでいて、ああここに自分の読みたい文章があったと強く思いました。素晴らしいものを読みました。文庫本はアメリカにつれて戻ってきました。これから、ことあるごとに読み返すでしょう。ここに収められている文章の多くは青空文庫で読むことができると思います。以下に僕が感動した文章のリンクを青空文庫から貼り付けておきます。

私の個人主義

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

文士の生活

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2679_6493.html

鈴木三重吉宛書簡

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/2575_7069.html