読んだ論文など

まずは以下のDevelopmental Cellに掲載された論文

T cell cytoskeletal forces shape synapse topography for targeted lysis via membrane curvature bias of perforn (Govendir et al., 2022, Dev Cell)

Cytotoxic T-cellががん細胞に張り付いてそれを殺す際のメカニズムをT-細胞の細胞骨格系の使い方とPerforinと細胞膜のトポロジーに注目して研究した論文。アッセイ系は主に二つしか使用されていない。一つ目はcytotoxic T-cellとがん細胞をそれぞれ一つずつピペットで吸って近づけ、その相互作用を蛍光顕微鏡下で観察するというもの。二つ目は、cytotoxic T-cellとがん細胞を3次元培養環境に一緒に埋めて、相互作用を観察するというもの。二つ目は一つ目を補う役割を持っている。やはり注目すべきはこの一つ目のアッセイで、cytotoxic T-cellに細胞骨格系のマーカーを発現させたり、lytic granuleのマーカーを発現させることで、それぞれのコンポーネントの動きを時間の経過と共に観察している。また、培養液にヨウ化プロピジウムを添加しておくことで、cytotoxic T-cellの攻撃によってがん細胞に穴が開いた瞬間を可視化することに成功していて、上記のcytotoxic T-cell内で生じるイベントとがん細胞が死んだ瞬間の時空間的相関が定量的に見事に示されている。また、ピペットで吸っているため、それぞれの細胞の張力も同時計測していて、細胞の力学的な情報も同時に収集している。このアッセイ系が非常にエレガントで読んでいて学びも多く説得力の高い論文だと感じた。細胞内で力学的な力を発生させるというとアクチン-ミオシン系を中心に考えがちであるが、cytotoxic T-cellががん細胞を殺す際には、微小管上を移動するダイニンによる力の発生が重要なメカニズムとなっている。Cytotoxic T-cellとがん細胞の相互作用の境界では、cytotoxic T-cell内の膜付近でダイニンによる力の発生が起き、細胞膜がcytotoxic T-cell側にくぼむ。Cytotoxic T-cellから分泌させるPerforinは凸上の膜構造となったがん細胞膜で活性が上がり、そこに穴を開ける。

次は以下のNature Immunologyに掲載された論文

Lymph node homeostasis and adaptation to immune challenge resolved by fibroblast network mechanics (Horsnell et al., 2022, Nat Immunology)

以前このブログで取り上げたSixtラボから出版された論文とback-to-backで掲載された論文。感染などによりlymph nodeが数日で膨れ上がる際に、どのような力学的なメカニズムが生じているのかを解析している。メカノバイオロジー+免疫という新しい組み合わせにインパクトがある。Sixtラボからの論文と結論は同じで、細胞外基質はどうやら関与しておらず、lymph nodeを覆う繊維芽細胞のネットワーク内で生じる相互作用とそれらの細胞内で生じる力学的変化がこの迅速な変化を可能にしているという内容である。しかし、それぞれのデータを細かく見ていくといまいち説得力に欠ける印象だ。著者らは免疫系を刺激して0から5日で生じるlymph nodeの急激な膨張をモデルにしているのだが、不思議なことに3日目と5日目においていくつかのフェノタイプが逆転する。例えば、細胞や組織の張力を測るのに使われるレーザーによる細胞/組織の切断とそれによって生じる反動の計測では、0日目に比べて3日目では張力が減少し5日目で増大している。つまりlymph nodeはこの間膨張し続けているのだが、繊維芽細胞のネットワークは一時的に弛緩し、その後緊張するという真逆の現象が起きていることになる。論文内にはこれに対する説明があるものの、すとんと納得するのは難しい不思議な観察結果だと思う。また、これら繊維芽細胞の増殖がメカノセンシティブに制御されていることを示すために、in vitroの系を導入し硬さの異なる培地で培養して検証しているが、2 kPa-12 kPa-30 kPa-glassの四段階で変化させ、2 kPaとglassにのみ優位な差が見られているが、glassの硬さはGPaのオーダーなのでlymph nodeの周囲でこの硬さに相当するものは見られないだろう。さらにY27632を使用してROCKを阻害することで細胞の張力を変化させているが、この操作によって繊維芽細胞の細胞分裂が直接阻害されたり免疫系細胞の細胞運動が変化することも考えられるのではないかと思われる。


現在Jared Diamond著の”Guns, Germs and Steel”(邦題:銃・病原菌・鉄)を読んでいる。もともとこのタイトル内の’germs’に興味があって手に取ったのだが、病原菌を主に扱っている章は一つしか無いようだ。しかしながら、Jaredの問いの建て方や論の進め方は非常に切れ味が良く、論理による説得力の大きさを実感することができてとても勉強になる。文化人類学などにはほとんど縁のなかった僕にとってもとても興味深く面白く読んでいる。これほど広範に時間と空間の軸に跨って世界を観察することができるのはまさに天才の仕事という感じだ。


博士課程時代に仲良くつるんでいた3人の友人のうち、2人までもが既に一流の研究大学/研究所でPIとして独立した。二人とも在学中から超優秀だったのであまり驚くことはないのだが、二人の躍進を祝福すると同時に情けないことに劣等感に苛まれている。僕が研究者として将来生活することができなくなる要因を考えるならば、「劣等感に苛まれてしまうこと」というのは可能性として上位に来るのではないか。自分には自分のペースが、自分の研究には自分の研究のペースが、そして価値観にも様々あることを理解していながら、またそういうものだということを強く主張しながらも、やはり他人と自分を比較してしまうことから解放されることができない。そして自分はそういった感情をモチベーションに変換できる人間ではないらしいことがわかってきたので、SNSなどにも手を出さないでいる。研究を続けていくにはこういった感情をうまく飼い慣らす必要があるのだろうが、どうにか良い方法/メンタリティを見つけなければならない。読書をしたり走ったりするのも、面倒なことを頭から追い出すのに都合が良いからだという側面がある。

EMBO TBミーティング

パリで行われたEMBO Tuberculosis meetingに参加してきた。月曜日から金曜日まで、Institute Pasteur(パスツール研究所)で行われた。僕はポスドクを初めたばかりなのだが、ボスが「このタイミングで分野を勉強しに行ってくるといい。」ということで、発表なしの気楽な身分で参加させてもらったのだ。

結果として、参加することができてとても良かった。「結核」という研究対象の広大さ、良く言えば懐の深さ、悪く言えばぐちゃぐちゃな状態、というのを体験することができた。もう少し詳しく書くと、結核という研究対象は、結核菌の細胞膜タンパク質の性質やタンパク質の構造などの非常に小さいレベルの研究対象から、検査方法や治療薬やワクチン開発などの非常に大きなプロジェクト、さらに変化球としてはウシ型結核菌 (Mycobacterium bovis)と人獣共通感染症の話や結核菌の系統発生の話まで本当に多岐に渡り、自分のニッチはどこかしらに見つかるだろうと思われたのだった。

一方で、例えば新規のワクチン開発のプロジェクトに関してもいくつかのトークを聞いたものの、分野全体としてどこに向かっているのかというのがいまいち定かではないし、結核菌の「毒性」(virulence)一つとっても研究者間で意見が一致しておらず、あまりに広大な故に分野全体でちぐはぐな印象を受けた。また、結核の感染モデルでは、培養細胞からショウジョウバエ、ゼブラフィッシュ、マウス、マーモセットなど様々なモデルが開発されてきたが、培養細胞一つとってもヒトのマクロファージモデルや上皮モデル、血球系の初代培養モデルなど様々あり、マウスに関してもバックグラウンドの遺伝子型によってガラッと感染によるフェノタイプが変わったりして、それぞれの研究者がそれぞれのプレゼンスを守ろうとするようなギクシャクする場面も見られた。

また、このミーティングの残念だった点としては、若手研究者やトレイニー(学生とポスドク)に対して積極的に発言や質問の機会を与えるような姿勢が見られず、どちらかというと権威主義的というかビッグネームを優遇するような雰囲気があった。とはいえ、上で書いたように分野内で行われている研究が非常に多岐に渡るので、必ずしも他の権威に迎合しなければならないというような気分ではなかっただろう。もう一点残念だった点は、全体としてトークの質があまり良くなかったと感じられた点である。一人質疑応答を含めて15分から25分の短い枠なので、通常スライドもスクリプトも十分練ってくることが考えられるが、残念ながらそうではなかった。分野が広大なのだから自分の研究分野にドンピシャな聴衆など想定できないわけで、トークは情報をどれだけ削ぎ落として核心的な部分だけを間違わず伝えられるのかという勝負になるわけだが、多くのスピーカーは正に真逆のことをしている印象を受けた。

しかし中には素晴らしいトークもあり、自分にとってあまり馴染みのない研究領域であっても感銘を受けるのは、やはりサイエンスの力が大きな仕事である。言い換えれば、その研究対象を深く探った結果、なんらかの普遍性のありそうな事実にぶつかったり、結核菌とヒトという5000年以上に亘る戦いと適応の歴史を垣間見させてくれるような発見であった。つまり、僕がこのミーティングから勝手に受け取った激励は、自分の研究対象にきちんと向き合い良いサイエンスをせよ、ということだ。


今回のEMBO TB meetingは世界の様々な国からの参加者があり国際色豊かだった。しかしながら、アジアからはインドと韓国からの参加者がいたものの、中国と日本からの参加者は見られなかった。これはEMBOが主催のミーティングだからだろうか?アメリカのKeystoneミーティングなどではまた状況が異なるのだろうか。日本の結核研究者の方と知り合えたらと淡い期待を抱いていただけに残念だった。

一方、素晴らしい出会いもあった。最終日前日の学会主催のディナーで隣になったのは、セネガル出身で現在マダガスカルで博士課程をしているという女性の研究者/学生とそのマダガスカル人のボスで、彼女らと食事をしながらゆっくり話ができたのは素晴らしい出来事だった。マダガスカルではマダガスカル語とフランス語が主流な言語だが、彼女の英語は非常に流暢で、かなりの努力の成果なのだろう。彼女の研究環境では、サンプルをシーケンシングに出しても一週間では戻ってこないというし、試薬の調達なども一苦労だという。彼女と話していると、自分のこれまでがいかに恵まれてきたのか、そしてそれに甘えてきたのかと恥ずかしくなる。彼女は未だ結核が流行している地域において、検査方法の開発のプロジェクトに携わっているといい、僕に対して未だ結核が流行している地域の結核病棟を見学してみることを積極的に勧めたのだった。僕の反対側の隣に座っていた同僚が「将来はPIになりたいの?」と聞いたところ、「もちろん。研究もしたいし、教育にも携わりたい!」という回答が間髪開けずにあって、この質問に対してこれほどストレートなYesはこれまでしばらく聞いたことがないような気がして、その同僚と僕は何か非常に眩しいものを見たような気持ちになったのだ。

反対に、学会中残念だと思うこともあった。あるビッグネームの研究者はトークの質疑応答の際に、若手の研究者からの質問に対してニヤッとして「I’m smiling because you are young.」といったのちに相手が若くて無知で質問内容はナンセンスだということを壇上から説明したのだった。なんという傲慢な態度だろうか。その同じ研究者がセッションのチェアーをしていた際に、時間が圧していた状態で今度はビッグネーム数人が質問に立った際に、「You are important people」といって時間を無理に作って質疑応答を続行したのだった。他の研究者が立っていたら直ぐにでも切り上げていただろう。


最新のScienceに

Evolutionary gain and loss of a pathological immune response to parasitism (Weber et al., Science, 9 Sep 2022)

という論文が掲載されている。これは免疫系を発達させることの進化的コストについて研究しているとても優れた仕事で、新しい視点を授けてくれるような論文だった。つい、免疫系の発達はいつも良いことだと考えがちである。しかし、この論文でディスカッションしているように、高度な免疫系の獲得はそれに付随するリスクも伴っているのだ。例えば、自己免疫疾患が一つの例だという。

この論文では、Sticklebackというトゲウオ科の野生の小型魚類を使用している。Sticklebackの面白い点は、この魚は地理学上淡水に生きるものと海水に生きるものがあり、またそれぞれの地域にはそれぞれに地域に適応したsticklebackが生息し、それぞれを掛け合わせることで、進化的適応の研究をすることができる点である。著者らはある二地域に生息するsticklebackに注目した。一方は海水域に生息するsticklebackで、海水域のsticklebackは寄生虫Schistocephalus solidusに出会わないため進化的に耐性を獲得していない。もう一方は淡水域の湖に生息するsticklebackで、淡水では上記の寄生虫に感染するため、それに対して進化的に耐性を獲得してきた。さらに著者らは、調査した湖間でも寄生虫に対する応答が異なることを発見した。これらの情報をもとに、それぞれの場所からのsticklebackを掛け合わせたところ、寄生虫への耐性は遺伝学的に説明できる現象であることを確認し、さらにその特性を染色体上にマップしている。また、面白いことに、耐性は組織の繊維化と相関があること発見した。しかしながら、この繊維化を伴う免疫反応はコストを伴い、組織の繊維化と次世代の残しやすさには逆相関の関係が見出された。


学会後、金曜日の午後から合流した妻と週末までパリに滞在してきた。パリを訪ねるのは初めてだったので、いわゆる観光客の行くスポットをいくつか回った。なかでもルーブル美術館は念願叶っての観光で、その圧倒的な広さに辟易しながらも、いわゆる有名どころはざっと見ることができた。

なかでも非常に感動したのは、サモトラケのニケの彫像である。写真で見るのとはやはり異なり、その空間の荘厳さに圧倒される。首から上と両手が失われていることで、情報が削ぎ落とされた結果、却って普遍性が増しているような印象を受ける。翼の美しさと躍動感、前進するかのような姿勢の力強さ、重厚な台座に上から差す光、見るものに希望と啓示を与えるような佇まいである。

ルーブル美術館には美術品がありすぎる。どの一点をとっても、ある地方の教会などにとってはまさに宝として大事にされるようなものが、あまりに広大な美術館の膨大な展示品の一つとして、ほとんど省みられることもなく素通りされていく。それぞれをもとのあった場所でみたらより感動するだろうとも思う。しかし、これだけ集められているからこそ僕らのような一般人はまとめて鑑賞することができ、また保存や修復が行われることでその作品が失われずに済んでいる事実もある。複雑な気持ちである。


今日は女王の葬儀により休日となった。英国中が喪に服しており、何も動かない。ロンドンにはその棺に参拝しようと、国中や他国からも人が集まり何マイルもの列ができ、待ち時間は12時間以上だったという。

パリでは地下のカタコンベを見学してきた。600万人の骨が堆く芸術的に積み上げられている不思議な空間だった。あそこでは聖職者も感染症で亡くなった人も皆平等に佇んでいる。

不運続き

ここ最近立て続けに不運に見舞われている。先日、休暇をとって久しぶりに日本に一時帰国したところ、日本滞在4日目にしてコロナを発症してしまい、その後の予定が全てダメになってしまった。それも、過去二年コロナで実現できなかった結婚式の代わりとしてフォトウェディングを企画していた前日のことだったので、三年連続またしてもコロナによって邪魔された形になってしまった。15時間も飛行機に乗って行った先の日本で感染するとは本当に災難だった。

さらに、今週末の日曜日に予定されていたロンドンのリッチモンドマラソン大会は、女王が昨日亡くなってしまった結果延期になってしまった。当然ながらまだ延期先の日程は決まっていない。あまり一所懸命ではなかったものの、このマラソンを走るためにそれなりにトレーニングしてきたので残念だ。リッチモンドマラソンは王室に関連の深い庭園内を走るコースだったので、どうしても開催できないらしい。


来週の平日5日間はパリでEMBO TB meetingに参加する。僕にとってはこの分野に移って初めての大きな学会だ。僕にはまだ発表できるようなデータが全くないものの、分野のことを勉強するのに最適だからと、ボスは僕を含めた新しいポスドクを連れて行ってくれる。どんな雰囲気なのかとても楽しみだ。

パリまではロンドンからEurostarにのって2時間程度と便利である。僕は週末まで滞在を延長して、妻が合流する予定だ。僕はフランスに行くのは初めてのことだ。


Marie Curieフェローシップに出願し終えた。一つ気持ちが軽くなった。しかし重たい申請書だった。研究の内容だけではなくそのほかにもいろいろと書かなければならず、しかも案内が不親切で、かなり消耗した。ボスには「こんなに書かないといけないなんて可哀想だね!」と言われるようなプロポーザルである。


ようやくポツポツと実験ができるようになってきた。しかしまだまだ先は長い。