Ben Barresの自伝

Ben Barres著『The Autobiography of a Transgender Scientist』という本を読み終えた。その後、Ben Barresの書いたものをいくつか読んだ。大事なことが書いてあると思うので、それらもまとめて紹介したい。

Ben BarresはもともとStanford大学の神経学者で、glia細胞の研究で大きな功績を残したトップ科学者だ。2017年に膵臓癌で亡くなっている。熱心でgenerous(これを言い表す適当な日本語の単語は無いような気がする)なメンターとしても有名だった。それに加えて、彼はキャリアの途中で女性から男性に性転換し、それを公にしながら、女性やマイノリティ、LGBTQの研究者の待遇改善を強く訴え続けた。

この自伝は四部構成になっている。最初に前書きとしてNancy Hopkinsが文章を寄せている。Nancy HopkinsはMITの研究者としてリクルートされたが、90年代の半ば、女性研究者が男性研究者よりも低い待遇で扱われていることに疑問を感じた。そして、実際に女性研究者と男性研究者に与えられている研究スペースを測定することで、この性別による不当な差別を数字という証拠をもってMITに突きつけ、女性研究者の待遇改善を進めたパイオニアである。Nancy HopkinsはBen Barresと親交があり、Ben Barresの人柄を知る上でも、女性のキャリア差別を知る上でも、彼女の前書きはとても読む価値がある。第二部としてBen Barresの自伝、第三部として彼の研究、第四部として彼のメンターそして差別撤廃の主張についてまとめてある。僕は神経科学者ではないので第三部のgliaについては少ししんどかったが、第二部と第四部は読んで良かったと思う。ちなみにNancy Hopkinsはzebrafishの研究者としてもパイオニアで、彼女のラボはレトロトランスポゾンを使ってzebrafishに大規模な変異導入を行ったことでも有名である。

Ben Barresは女性Barbara Barresとして生まれたが、幼少期より自分は間違った性別に生まれたのではないかという思いを強く抱いて生きてきた。その思いに深く悩まされ、自ら命を断つ選択も常に頭の中にあったようだ。当時ほとんど男性しか受け入れられていなかったMITで不当に扱われたこともあったと書かれている(しかし全体としてMITでの生活はとても良いものだったようだ)。一方、彼のキャリアは華やかで、MITで学士、Dartmouth Medical SchoolでMDを修め、HarvardでPh.D.を取得、その後イギリスに渡りUCLでPostdocをしている。Ph.D.とPostdocでは衝撃的な数の論文をトップジャーナルに掲載している。その後、Stanfordにリクルートされ、亡くなるまでStanfordで研究を続けた。HarvardでのPh.D.、そしてUCLでのpostdoc時代のアドバイザーとして、それぞれDavid CoreyとMartin Raffに師事し、彼の自伝の中には、この二人のアドバイザーがいかに素晴らしく、科学の方法とメンターとしての姿勢を学び、彼の研究者としてのキャリアを助けてもらったのかが繰り返し書かれている。後述するBen Barresのメンターとしての姿勢はこの二人の研究者から大きな影響を受けたのだろう。Stanfordにリクルートされたあと、まさに人生を変える大きな決断をしている。テストステロン投与を始めることで性転換し、名前もBarbaraからBenに改めて、男性として生きていくことを決断したのだ。それ以前にも彼は初期の癌で乳房を切除しており、その手術とこのテストステロン投与の決断は、彼の心をとても軽くしたと書いてある。そして、まずはそのことを同僚などにメールを使って一斉に知らせ、その後、この決断を公にすることで、同様に苦しんでいる(特に若い)研究者のための道を作った。その同僚に宛てたメールの全文もこの本で読むことができる。

キャリアの途中で女性から男性に転換したことで、女性と男性という二つの社会的性を経験したBenは、女性がどれほど目に見えないバリアによってキャリアを難しくされているのかということについてとても自覚的で、この改善を強く主張したアクティビストだった(同時にLGBTQやマイノリティ、アジア人などに対する差別に対しても強く訴えている)。Nancy Hopkinsの前書きに、いくつかBenが他の研究者や研究機関などに送ったメールが掲載されているが、まさにミサイルのようなメールで相手を糾弾している。このようなメールを受け取った側は驚くだろうが、Benの主張は正しく、この強く訴える姿勢によって改善がもたらされたケースも多いだろう。

この本の中にも紹介されているのだが、Ben Barresが生前に残した3つの素晴らしいエッセイ/コメンタリーを読んだ。多くの人に勧めたい。

一つ目は、

Does Gender Matter? (Ben A. Barres, 2006, Nature)

https://www.nature.com/scitable/content/does-gender-matter-by-ben-a-barres-10602856/

これは2005年当時HarvardのプレジデントだったLawrence Summersが、科学の世界で卓越した業績を残す女性の数が少ないのは、女性が生まれながらにして科学的な活動に適さないからだ、というような発言をしたことに対して書かれたコメンタリーである。ここでBenは、実際の数字を上げながら女性と男性では数学力において差がないことを明らかにし、このような発言をする主に白人男性に対して、証拠を見せてみろと主張した。その上で、どのように社会を改善していけるのか、彼の自分自身の経験を踏まえながら、考察されている。

二つ目は、

How to pick a graduate advisor (Ben A. Barres, 2013, Neuron)

https://www.cell.com/neuron/fulltext/S0896-6273(13)00907-0?_returnURL=https%3A%2F%2Flinkinghub.elsevier.com%2Fretrieve%2Fpii%2FS0896627313009070%3Fshowall%3Dtrue

これはこれからPh.D.やPostdocのアドバイザー/PI/メンターを選ぶ学生に向けて書かれたアドバイスである。主にPh.D.メンターの選択と、アメリカのプログラムに入学する学生を主眼にしているが、そのほかのシチュエーションにも当てはまるだろう。アカデミアの世界では、メンターが協力的であればそれだけではるかに精神的にも仕事的にも楽になるのだ。一方で、おかしなメンターを選んでしまうと、それだけでアカデミアでのキャリアが閉ざされかねない。しかし、学部生の段階でそのようなことを意識できる学生がどれだけいるだろうか。これからPh.D.メンターを選ぶ学生にとってこのエッセイは必読である。

三つ目は、

Stop blocking postdocs’ paths to success (Ben A. Barres, 2017, Nature)

https://www.nature.com/articles/548517a

これはpostdocの指導にあたるメンターの立場の研究者に対して書かれた文章である。postdocがトレーニングを終えて独立する際、元のラボからプロジェクトや研究材料を持っていかせてあげて欲しいと頼んでいる。Benが既に癌に冒されて自分の先が長く無いことを承知で、科学界に対して後進を助けてくれるよう「お願い」したというような文章である。Postdoc先を選ぶ際の参考にもなるだろう。

最後に、Benが亡くなる前に残した言葉を引用する(Andrew D. Huberman, 2018, Nature)。

(引用始め)“I lived life on my terms: I wanted to switch genders, and I did. I wanted to be a scientist, and I was. I wanted to study glia, and I did that too. I stood up for what I believed in and I like to think I made an impact, or at least opened the door for the impact to occur. I have zero regrets and I’m ready to die. I’ve truly had a great life.”(引用終わり)

素晴らしい研究者の生涯と社会やアカデミアに対する提言を知り、考えさせられた。


最近の結核関係の大きな論文は最新のCellより、

Human IRF1 governs macrophagic IFN-γ immunity to mycobacteria(Rosain et al., 2023, Cell)

BCGワクチンやMycobacterium bovisなど、通常の免疫機能があれば症状の出ないmycobacteriaの感染に対して、遺伝的に免疫が正しく機能せず脆弱性を抱えて生まれてしまう患者がいる。このような患者から協力を得て、その原因を調べることで、人の免疫機能について多くのことがわかる。特に、mycobacteriaの感染に対して遺伝的に脆弱なケースのほとんどがIFN-γの機能とシグナルに異常があることがわかっており、今回の発見もIRF1というIFN-γシグナルに関わる分子に異常があると、mycobacteriaの感染に対して脆弱になってしまうことが明らかにされた。


新しい研究を始めたいと思い、まずはそれが可能になるかもしれない施設へのアクセス権限を取得しようとしているのだが、それだけで既に数週間が経過している。その申請に関わるメールを月曜日に送ったところ、金曜日の5時(つまりその施設の今週の終業時間ギリギリ前)に、「別の書類を用意してくれ」というような返事があった。メール一つでもこのような調子で、のろのろとしか進まない。腹も立ってくるが、どうしようもないことに怒っていてはこちらが損をするだけである。とにかくここではこのようにしか物事が進まないのだ。諦めて時間をかけるしかない。この研究に関しては、諦める理由は沢山思いつくが、忍耐強く続ける理由はただ結果を見てみたいという一点に過ぎない。

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Ben Barresの自伝」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: #54 It takes two - NeuroRadio

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