John Snowのポンプ

今週はちょっとバタバタしていてまとまった内容が用意できなかったので、細々と雑多なことを。


John Sellars著『Lessons in Stoicism』を読み終えた。セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウスをはじめとする(後期)ストア派の教えを、僕たちの日常生活の助けになるように簡潔にまとめて提示している本。大きな字と平易な英語で書かれた60p程の本だが、その簡潔さ故に読む価値がある。

先日のブログ記事でも書いたが、今年僕は自分自身のメンタルを見つめ直して可能であれば良い方向に成長することができれば良いと考えている。そして、まずは自分の理想的な姿勢と親和性の良さそうな(後期)ストア派の哲学を学んでみようと考えた。昨年読んだ岩波版のマルクス・アウレリウス『自省録』はひとまず置いておくとして、僕がまず手始めに読んだのがこの本である。イギリスではなかなか日本語の紙の本が安価で手に入らないので、このプロジェクトに関しては、しばらくは英語の本に頼ることになりそうだ。セネカとエピクテトスの著書は岩波版で読みたいと考えている。もともと英語で書かれていない書物について、英語で読む必要はないだろう。既に英語圏で暮らして7年になるが、未だに英語を使った読書は余計な労力がかかり理解度が落ちてしまう。それでも原著が英語で書かれた書物に関しては、その労力を注ぎ込んでも英語で読む価値があると思うが、翻訳本に関しては日本の優秀な翻訳者を信頼したいと思う。

(後期)ストア派の教えですぐにでも有用な点は、自分のコントロールできることとコントロールできないことを明確に区別して、コントロールできることに関しては最善を尽くし、コントロールできないことからは心理的な距離をおくという点だ。外界と自分の間に一枚クッションを設けるようなイメージで、まず外界で発生してしまったことは発生してしまったことであり、クッションを通して、それを自分がどのように解釈し受け入れるか判断する。この自分の中にどのように物事を取り入れていくか・感受するのか、という部分こそ自分がコントロールできる最初の部分であり、その事象が自分の中でどういった方向に発展するのかを左右する重要な第一打となる。


土曜日はロンドンまで外出して、『George Takei’s Allegiance』というミュージカルを見てきた。妻にとってとても大事なミュージカルであり、僕自身にとってもとても深く考えさせられる内容である。もともとニューヨークのブロードウェイ発のこのミュージカルを見るのはこれが2回目で、1回目はコロナによる騒動の初期に外出ができないニューヨークのアパートからブロードウェイオンデマンドの放送回を試聴した。当時、コロナウイルスが中国からもたらされたとして、アメリカ全土でアジア系に対するヘイト犯罪が増えていた時期であり、それに合わせて放送されたのだろう。以下のミュージカルの内容から、その意味するところが明確になるのではないかと思う。

このミュージカルは、第二次世界大戦時下のアメリカ日系人収容キャンプを主題として取り上げたものである。僕自身も妻から教えられるまで知らなかった史実であり、あまり日本の教育課程では取り上げられない歴史だと思う。第二次世界大戦が始まる前、アメリカに移住した日本人は多かった。日本人の血筋を持ちながら、日本国外で生まれ育った人たちは日系人と呼ばれている。太平洋戦争が始まり、日米が敵対国同士になり、アメリカに住む日本人や日系人は居住地を追われ、収容キャンプに連行された。その生活環境は劣悪であり、衣食住の基本的な条件も揃っていないような場所でプライバシーの確保なども蔑ろにされていた。アメリカで生まれ育ったアメリカ国籍の二世も多く含まれていたのだが、その血縁や外見から公然とこのような差別が行われていたのだ。アメリカ世論を変えようと、キャンプに収容された日系人の中にはアメリカ軍に志願した多くの若者がいた。有名な第442連隊戦闘団はほとんどが日系アメリカ人で構成された部隊であり、壮絶な戦闘作戦に駆り出され最も勇敢に戦った部隊として知られている。

日系アメリカ人俳優Geroge Takeiが幼少期に実際に経験したことをモチーフにしたミュージカルで、素晴らしい歌とダンス、ユーモアを交えながらも、重い内容を扱っている。内容は非常に配慮されてあり、作り込まれていると思う。ミュージカル自体がどちらが善い悪いの安易な判断を下さず、視聴者に上手に問いかけ、自然に考えさせる作りになっている。また当時の歴史的な出来事がセリフなどに上手に散りばめられていて、あくまで自然な形で積み残しが無いような作り方になっている。際立つキャラクターが多く、そのどの人の視点でストーリーを眺めてみても考えこんでしまう。一世として日本からアメリカに渡り、日本人としてのアイデンティティを未だ強く持っている父親。二世として自分の血筋と、祖国としてのアメリカに引き裂かれる青年。志願兵になる選択をする青年とあくまでキャンプ内から人権を訴える選択をする青年。キャンプで生活を余儀なくされる女性たち。アメリカ軍のナースとして派遣された女性。日系人の人権を訴えようとした結果、多くの日系人の若者を死地に送り込むことになるロビイスト。人種とは、祖国とは、家族とはどういったものなのか。戦争のような災厄に見舞われたときに、その出来事に対して個人としてどのように向き合い立ち向かうことができるのか。

また日本語話者として鑑賞すると面白い発見もある。例えば、「我慢」という言葉がキーワードとしてミュージカルに登場するが、それを英語に翻訳する際に「carry on」という訳語が充てられている。これに関しても、ミュージカルの製作陣側はかなり議論をしたのではないかと想像するが、この一点に関してもミュージカル観賞後に妻と僕で会話の種になったりと、良い時間を過ごすことができた。

ミュージカルのリンクを以下に貼っておく。

https://charingcrosstheatre.co.uk/theatre/george-takei-s-allegiance


ロンドンにいったついでに、詳しい友人に案内してもらい、John Snowがコレラの発生源として特定したポンプを見に行ってきた。

ロンドンのSoho地区、John Snowという彼の名前を冠した大きなパブの前にあるこのポンプは、公衆衛生という概念が産まれた記念碑的な場所の一つである。John Snowは1800年代を生きた医師で公衆衛生の生みの親である。コレラ菌は、コレラに感染した人などの排泄物で汚染された水が口に入ることで感染する。当時のロンドンではコレラが流行しており、その感染ルートはまだ知られていなかった。病原菌や公衆衛生の概念が誕生する前の話である。当時は人間の排泄物も道に放置されているような状態で、特に貧困地域では衛生状況は極めて悪かった。John Snowはコレラに感染した人々の分布を丁寧に調べ、ロンドンの地図にマップすることで、一つの地域のコレラの発生は全てこのポンプから汲み出した水を飲んだ人々の間で生じていることを突き止めた。そして、写真を見てもらえばわかるように、ポンプからハンドルを外して水が汲めないようにした結果、その地域でのコレラの発生は収まった。この研究結果を元に、汚染された水を通してコレラが発生すると判断したJohn Snowは、その後ロンドン地区の下水処理のプロジェクトに従事していくようになる。公衆衛生学の夜明けである。


Natureのnews articleに以下がある。

Abstracts written by ChatGPT fool scientists(Else, Nature, 2023)

先日、ChatGPTで書かれた医学論文のアブストラクトを研究者が読んでもAIによって生成されたものと判断することができないという論文がbioRxivにポストされた(Gao, C. A. et al., 2022, bioRxiv)。

AIに対して、「こんな仮説からこんな結論を導くような〇〇雑誌スタイルの論文を作ってくれ」と入力したら、過去の研究論文のデータのプレゼンテーションを学んで、フィギュアまで全部作ってしまうようになるのも時間の問題なのではないかと思う。

実際、テクノロジーの進歩が速すぎて、こちらの判断が追いつかない。AIを使うことで、実際には実験をしていないものの、周辺の情報から特定の実験データの予想と補完を可能にするツールが物凄い勢いで開発されている。Nature MethodsやNature Biotechnologyを眺めてみると、あれもできるこれもできるというように、AIによって可能なことがとにかくショーケースされているのだが、それらをどこまで使用してよいのか/使用すべきなのか、どのように考えて良いのか混乱する。


先週は、これまでしばらく時間をかけていた実験が一つうまく行っていそうな兆候を見た。今週最終チェックをするが、8割方大丈夫なのではないかと思う。これができたからといって、何かが劇的に進むというものでもないものの、自分のPhDで培った技術を使用する実験だったので、今のラボでの立ち位置を考えるとなんとか成功させたかったのだ。へんな意地の張り方だとわかってはいるが、僕には今のラボで自分の居場所を作り、自信を取り戻す必要があるのだ。

また、今週一つ外部の研究者を交えたミーティングが企画されている。そのミーティングの感触次第では、僕の今後のプロジェクトがポスドクを始める前には想像していなかった方向へと進む可能性がある。リスクを取った先に面白いものが隠れていそうな気がしている。どうなるだろうか。

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