どこにも辿り着けない物語

カフカ『城』を読み終えた。以下、ネタバレを含む。

『城』は測量士Kがとある雪深い村に到着するところから始まる。Kは村にある城の主人からの要請を受けて村に到着したにも関わらず、どうやら全ては手違いで、誰からも必要とされていないという事実に気が付く。村にいる人間は皆村の掟に従って行動しており、Kが村で仕事をしようとすれども全く取り合ってくれない。事実関係を確認するために城に連絡を取ろうとするも、Kと城の間には必ず邪魔が入って全く城に辿り着けない。その邪魔とは、時には村人であり、時には城に仕える官僚であり、時には村長であり、時には宿屋のお内儀であったり、とにかくひたすらたらい回しにされて、いくら行動しようとしても全く前進しないのだ。

村人の話では城に仕えるクラムという官僚が重要人物だという。村のあちこちでクラムという名前を聞く。しかしKが彼を見たのはただの一度きりで、彼が本当にクラムなのか、クラムという人間が確かに存在するのかもわからないし、クラムが城でどのような立場なのか、クラムの上司にあたる人間がいるのかもわからない。Kにとってはクラムが手繰るべき糸ということになるが、そもそもクラムという人間に対する情報があまりに少なく、霧の中なのだ。況してや、城の主人とは誰なのか、城には何があるのかなど核心に迫る情報は手に入れようがないのだ。これは官僚主義や社会システムの寓話になっている。仕事をするために仕事をしている独自の機構を持った複雑な組織があり、手繰れども手繰れども責任の所在がわからず、相手の顔が見えず、明確な回答が得られない。

村人たちは、Kを余所者扱いして取り合ってくれない。Kが村の中で勝手に動き回ることを目障りだと考えており、厄介払いしたい。しかしこれに関しても、どうやら確かな規則や法律があったり、直接城の責任者(がいればという話だが)から命令や指示があったわけではないのだ。役人たちはこのように行動する村人を好むと解釈し、漠然と村ではこのような掟に従って行動しているのだ。つまり村では忖度と空気が支配しているのである。

『城』は文庫本で600p以上もある長編小説なのだが、カフカの遺作で未完である。つまり、600p以上も延々と前に進まない話を読まされた挙句に物語が突如尻切れとんぼで終わるのだ。読者はKが最後どうなったのかもわからないまま、「なんだったんだ、これは」というモヤモヤした読後感を味わうことになる。Kはいつまでたっても城に辿り着けないが、読者もまたどうしようもない状態で突き放されてしまうのだ。


イギリスに帰国してもとのラボでの仕事に戻ったのだが、なんだか心の晴れない数日だった。イギリスはこの時期雨が多く、日照時間が短く、寒いせいもあるかもしれない。自分がJ研究所の共同研究前にどんな仕事をしていたのか、そのことを思い出すだけでもしばらくかかってしまいそうだ。それだけJ研究所では一所懸命に没頭してプロジェクトを進めていたのだが、反動でバーンアウトしてしまったような気持ちなのだ。さらにW財団のフェローシップも当たらなかったために、仕事を見直すタイミングだろう。いっそのこと、自分の中であまり面白いと思えないものはこのタイミングで切ってしまっても良いかもしれない。僕はもう少し、自分勝手に我が儘にそして適当に研究室で振る舞っても良いのではないか、と思う。とりあえずフェローシップがあと二年+αの時間をくれるということなので、この間になんとか自分の面白いと思えるような仕事をしたい。ボスや同僚の言うことを聞くことも時には必要だが、結局自分が納得しないことをしても自分を滅ぼすだけなのではないか。そして、研究活動は好きだが、研究者の仲間に入りたいのかどうかますますわからなくなってきている。

さようならJ研究所

6週間に及ぶアメリカJ研究所での研究合宿も昨日で終わり、今晩のフライトでイギリスに帰国する。新しい環境に飛び込み新しいコラボレーターと短時間で何かを作り上げる、というなかなか面白い経験をした。通常の研究においては、たとえ新しいラボに移っても、もっと長い時間のスパンで物事を進めることになるだろう。しかしながら今回の企画は、6週間の短時間でなるべく沢山のパイロット実験をするという、非常に密度の高い催しで、それが故に個人はなるべく迅速に動かなければならないというプレッシャーの中で研究を進めることになった。短時間で物事を進めなければならないにも関わらず、色々な準備が滞ったり、事務的な手続きで躓いたりなど、フラストレーションの溜まることも多かったし、この6週間(週末にニューヨークを訪れた以外に)ほぼ休みなくぶっ通しで働いたので、非常に大きな疲労を感じている。しかし、やはりこのように短時間高密度の環境が用意されたことによって生じる研究の上での面白いダイナミクスもあって、総じて非常に良い経験をさせてもらった時間だった。6週間というのは動物を使った実験にはあまりに短い時間であって、今回はほとんどデータの取得に終始した感じである。この企画がとりあえずの終わりを迎え、これから先数ヶ月をかけてデータの解析や解釈をして、これ以降のことを考えることになるのだろう。

いずれにせよ、僕が研究者として生きている時間の中で、一つの面白い事象だったことには間違いない。自分のポスドク期間中の時間を使って参加しているので、今回の6週間が僕の将来にどのようにプラスに働くのかということは確かに問題になるかもしれない。しかしいつ終わるともしれない自分の研究者としての生活や人生を考えれば、あまり打算的に行動しても仕方のないのではと思う。多くの素晴らしい出会いもあり、良い思い出ができた、それで良いのではないかと今は清々した気持ちだ。そして僕は僕に与えられた仕事を概ね完遂することができたと思う。

J研究所は少し奥まった場所にあって、周囲に美しい自然があるのが嬉しかった。到着した頃にはまだ緑色だった木々が美しく紅葉し、この中を歩いていると気分が落ち着いたのだ。ランチは安くレパートリーが多く、休日も夜も開いているレストランが併設されているのもビジターには優しかった。しかしそろそろ帰るタイミングだ。イギリスでは僕自身のプロジェクトが待っているし、これから妻とホリデーシーズンを過ごすのだ。また戻ってくることがあるだろうか。さようなら!


先日わざわざロンドンまで弾丸一時帰国してまで面接を受けたW財団のフェローシップは不採択だった。自分としてはやれることは全てやったし、面接の感触はとても良かったので、どうして落とされたのかは正直なところよく分からない。研究者として生きていこうとすれば何かに落とされることばかりなので、まあまた一つ自分の希望することに手が届かなかったといったところだ。しかし、経験は裏切らないと思うので、挑戦しただけ良しとしよう。


博士課程を過ごしたラボでの最後の第一著者論文が受理された。以前も書いてきたように、僕は共第一著者の二番目で、ラボを既に離れてしまっている手前今回はかなり優遇してもらってしまった。少しだけ後ろめたく感じるものの、しかしやはり嬉しいことに変わりはない。そしてようやく自分の博士課程の仕事全てにケリがついた、という開放感を感じる。随分長くかかってしまった。まだこの先そのラボから出版される論文に名前が載ることもあるかもしれないが、それはもう自分の仕事とは言えない。改めて、僕を大きく成長させてくれた博士課程のラボに感謝している。


ジッドの『狭き門』を読み終えた。アリサとジェロームのお互い慕いあっているにも関わらず、うまくいかない恋の話。ジェロームはアリサと結婚することが幸福になる道だと信じている。しかし、母親の不倫を目撃したり不幸に育ったアリサにとって、現世で幸福になることを求めることはできず、かといって死後に期待することもせず、ただ求道者のように彼女の信じる「神の愛」に向けて生きていく(死んでいく)。僕としてはもっと二人にとって幸福な結末があっても良かったのではないかと思うし、ジェロームはもう少し上手くアリサの幸福になることへの恐怖心を取り去ることができたのではないかと、なんだか釈然としない悲しい話だった。しかし短く読みやすい上に印象に残る小説だと思う。どこか僕の好きな辻邦生の『北の岬』に通じるものがあると感じた。

本文中に聖書マタイ伝から次の引用がある。

「力を尽くして狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入るものおおし。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見いだす者すくなし」

これはいい言葉。