財団インタビュー

日曜日の早朝にロンドンに到着し、水曜日の早朝に某財団でフェローシップのインタビューを受けてきた。そして、水曜日はそのまま半日ロンドンで過ごした後再びアメリカに戻ってきた。タフな一週間だったものの、良い経験をしたのではないかと思う。結果的にこれまでで一番準備をして臨んだインタビューになった。

今回のフェローシップ出願は書類の作成にしろ面接の準備にしろボスが非常に力を入れて面倒を見てくれた。その分総合して非常に強度の高い激しい準備期間となった。面接準備に関しては、僕の所属する研究所の教員数人を招き模擬インタビューをすることを強く勧められ、そのアドバイスに従うことにした。ボスから誰に声をかけることという指示もあった。普段特に話したこともない別のラボの教員数人にメールを送り、模擬インタビューに来て頂いて批評を頂くことは、僕の性格上非常に辛い練習だった。インタビューでは顔も知らない人たちと会話する。ほとんどの場合一回きりの出会いであり、どんなにヘマをしても忘れてしまうことができる。しかし、同じ研究所内の教員ともなると、日常的に顔を合わせる間柄なので、あまりみっともない姿を晒したくはない。結果的に、模擬インタビューは効果的だった。まず、僕がまだ準備を終えていないことが自分自身にとってはっきりしたし、模擬インタビューに来てくださった教員の方々は経験豊富で、彼ら彼女らの質問は本質的で役に立った。また、あまりに模擬インタビューで緊張し恐怖感を感じたので、本番が模擬に比べて優しく感じるほどだった。

今回のインタビューは10分のプレゼンテーションと20分の質疑応答から構成されており、僕にとっての難関は最初の10分のプレゼンテーションだった。申請書類にはaimを三つ用意していたので、背景の説明に加えて三つのaimに関してわずかながらのプレリミナリデータと書類出願時からの進捗を加えるとあっという間に10分に到達してしまう。スライドは10日前に財団側に共有しておかなければならず、それ以降変更することができない。スライド作成時はボスにチェックしてもらったものの、通常の自分のプレゼンテーションよりも情報量を詰め込む結果になったので、そうすると話す方に大きなプレッシャーがかかる。10分間分のスクリプトをほとんど丸暗記して、滞らずに話さなければ10分に収まらない。一回でも英語を飛ばすことができないというのはノンネイティブスピーカーの僕にとってかなり大きなプレッシャーで、本格的に練習を始めて何人とも模擬インタビューをしながらも、心の中ではかなり苦しい数日を過ごすことになった。

本番もとても面白い体験ではあった。財団に赴き、会議室に通されると、馬蹄型に並べられた机に10人以上の面接官が着席している。僕にも中央に小さなテーブルが用意され、スライドが予めダウンロードしてあるコンピュータが備え付けられている。正面がチェアの面接官で、彼女の指示でまず10分のプレゼンテーションを行い、その後20分の質疑応答となる。質疑応答は予めレビューの内容を吟味してきた主に二人の面接官によって進められ、その後全体からも質問を募るという形だった。雰囲気は全体にサポーティブで圧迫するという感じではなく、30分なんとか穏やかにちゃんと会話することができたのではないかと思う。

結果はしばらくして明らかになるだろうが、準備としては自分のやれることは文字通り全てやったはずだ。そのため、後悔はなく、清々しい気持ちだ。心情的に苦しく不愉快ではあるがやっておいた方が良いという準備に関しても、今回は一切逃げなかった。5月に書類を作成していた際の苦労を無駄にしたくはないという気持ちと、アメリカから一時帰国してまで臨む面接という状況が、僕をけしかけてくれたのではないかとも思う。こういうことに関してチャンスを与えられたとき、自分が尻込みしてしまってはもう二度と同価値のチャンスは巡ってこないのではないかと思う。例えば、ボスが僕に模擬インタビューを勧めたとき、僕が恐怖感からそれをうやむやにしてしまっていたら、この先ボスが同様のチャンスに対して同じようにサポートしてくれることはないだろう。こういった状況で自分にできることといえば、自分で自分の可能性を潰してしまうことが嫌ならば、あとはもう全霊でしがみついていくしかないのだ。そして自分の及ばないものが勝手に裁定を下してくれるだろう。

インタビューやこれまでの色々に関して思い出そうとしてもいまいち細部までを思い出すことができない。そんな曖昧な印象から、僕が自分で自分をコントロールしようとしてる試みは全くの無意味であり、ただ何か大きなジェットコースターに乗せられてA地点からB地点まで運ばれているのか、何かVRの中にでもいるのではないかとの錯覚を起こす。


せっかくアメリカに長期出張に来ているので、次の週末はニューヨークに以前の同僚と友人を訪ねる。ニューヨークを離れて既に2年が経過していることに驚く。

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